2006年09月24日

『君が代・日の丸強制は違憲』各紙の反応

先日の判決に対して一部から猛反発が起きているようです。各新聞の社説を読むと各新聞のカラーが出てて面白い。


参考記事:国旗、国歌は義務でない・地裁、都に賠償命じる(日経)


まず、朝日、毎日は確か判決を妥当と書いていたはず。(HPで論評はアップされず)
西日本新聞は今までの経緯の説明にほとんどを割き、意見は総論賛成的なものだけ。
中国新聞

国旗掲揚や国歌斉唱に反対する「思想、良心の自由」は「憲法上、保護に値する権利」というわけだ。それに反する強制は一方的な理論や観念を生徒に教え込むことを強いるに等しく、教育基本法の「不当支配」に当たる、と違法性を認めている。国旗国歌法の本質を解析した判決である。
(中略)こうした姿勢が「学校管理や統制を強める手段になる」との指摘があったのも事実だ。本来、子どもの能力や心を育てるはずの学校運営が教員らへの過度の「監視」になってはいけまい。


国旗国歌の是非よりもその方法論に重点を置いた書き方は判決に一番近い意見かも。

次に読売
「国旗・国歌は強制ではなく、自然のうちに定着させるのがいい」と言うが、どうやら式典で起立や斉唱を求めることを〈強制〉というらしい

従わなかったら処分すると言って起立や斉唱を求めることを〈強制〉と呼ばずして何と呼ぶのでしょうか?


が、式典で国旗に起立、国歌を斉唱するのは国際的にもごく〈自然〉、むしろ起立や斉唱を拒む方が〈不自然〉ではないか? 安倍晋三さんの言葉を借りれば〈美しくない〉

それはあなたの主観でしょう。
憲法19条、思想良心の自由が保障する内容には強制の禁止(国家権力が特定の思想を持ち、または持たせないことを強制することは許さない)と沈黙の自由(国家権力が思想の露顕を強制することは許されない)があると解釈されています。

ですからまず国旗に起立、国歌を斉唱するのは国際的にもごく〈自然〉と思うように刷り込むことが違憲、さらに国旗国歌を尊重することを起立、斉唱によって示させることも違憲ということになります。

あと私としてはしたくもないことを処分をちらつかせて強要し、皆が国旗国歌を尊重しているように形だけ見せようとすることのほうが、某将軍様の国みたいでよっぽど美しくないと思いますが。

この判決が先生も生徒も保護者も、てんでんばらばらな式典を奨励するようなことにならないかと心配する

そんなことは奨励していないですよ。だってそもそも国旗に起立、国歌を斉唱ということ自体省略可能でそれをしなければ式典が進行しないというようなものでもないですし。
第一強制が行われる前の式典がそんなだったわけでもなかったですし。

国旗・国歌を尊重するどころか、反発の態度を育てたりはしないか。

私のように天邪鬼な人間は強制されることで反発の態度を育てましたが。

自由と勝手をはき違える教えにならないか?

ならないよ。だって誰も不利益を被らないんだから。公共の福祉を侵さない限り何をしても良い、それが自由。


そんなよみうり寸評に???と思った。


次の産経はさらにすごい。国家の根幹を破壊することを書いてます


国旗国歌法は7年前、広島県の校長が国歌斉唱などに反対する教職員組合の抵抗に悩んで自殺した悲劇を繰り返さないために制定された。

こういう書き方もできるのか。国歌斉唱の徹底を指導した教委の方は完全無罪ですか。抵抗に悩んだというよりも両者の板ばさみにあって自殺したんだと思うんですけど。
大体この法律ができても問題が教委の通達と教員の反発の板ばさみになる校長から、校長の命令と生徒に国旗掲揚・国歌斉唱の強制(これは生徒の思想良心の自由を侵害するとの見解が有力)との板ばさみになる教師に変わっただけですよ。

教育現場においては、教師は指導要領などに定められたルールを守らなければならない。その行動は一定の制約を受けるのである

それだと生徒に国旗国歌を強要することは憲法尊重義務にも公務員の服務宣誓にも反するし、教育基本法は『人格の完成』を謳っている。そして人格形成に関する内心の活動の具体的内容には世界観・人生観・思想体系・政治的意見も含まれるのだから上位法のこっち優先で、下位法がそれに反すると違憲無効、それを根拠に行われた処分も不当処分になるのが順当になるのですけど。

裁判所がここまで国旗・国歌を冒涜(ぼうとく)していいのか、極めて疑問である。

別に日本に限らず自国の国旗を燃やす権利とか普通に認められてますし。
だって人には国旗国歌を尊重する自由もあれば尊重しない自由もある、そしてそのどちらを選択するか自分で決める、他人に強制されない自由があるのだから。

各学校はこの判決に惑わされず、毅然(きぜん)とした指導を続けてほしい。

法解釈が分かれた時は裁判所の判断に従う、という法治国家の基本ルールを覆そうとすることを書きましたよ。それに何故国家が存在するかといえば憲法で国民がその存在を容認しているから。つまり憲法を否定するということは国家を否定ことに等しいのですけどね。


最後は東京

国旗国歌法の成立過程で「義務規定は盛り込むべきだった」と発言していた安倍晋三・自民党新総裁

そうしたら今頃とっくに国旗国歌法が違憲無効になっていたかも。

相反する世界観や主義・主張に理解を示すことこそが、紛争の解決や平和の構築につながる。「国歌斉唱を拒否し、異なる世界観を持つ者に不快感を与えることがあるとしても、不快感で基本的人権を制約することは許されない」とした判決に、新総裁は耳を傾けるべきだろう。

結局これに集約しますね。そもそも自由主義社会とは皆が違う意見や考え方を持っていることを当然のものとし、その上でお互いがそういったものを理解し尊重しあう社会なのですから。
そしてその社会は同じ考えを持つものしか認めない社会よりもずっと暖かく、「異論が出ても社会が崩壊することはない」という強い自信と余裕に裏打ちされたずっと健全で強い社会なのです。
それに何度も書いてますが肝心なのは日本人や国家がどうなのかではなく自分個人がどう生きるか、なのですから。


だから、ここで考えるべきは国旗国歌がどうかということではなく、

「力で人を縛り付ける、そうした教育行政のやり方に問題がある、・・・そうは思わないのか?

という問いにどのような回答を出すか、ということです。



追記:「押し付け憲法」と言う人たちが、国家への忠誠や国旗国歌の尊重を「当然」と言って他人に押し付けることに対して、本人の中ではちゃんと論理的整合性が取れているのか疑問です。




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posted by moto at 01:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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